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2008年11月

ダカラアナタガスキ。

 19日は、愛する愛する槇原のニューアルバムの発売日でした。当日の夜、NHKの30分歌番組で語って歌う槇原を、録画しながら見ました。翌日、母が町へ行く時に「買ってくる?」と訊いてくれたので、お願いをしてアルバムを買ってきてもらいました。1曲リミックスバージョンが入っている、初回限定盤です。

 近年、槇原がテレビに出たり、出したアルバムを聴き始める頃は、ちょくちょく涙が出てきます。十年前の悪夢を覚えているので、「自分の好きなアーティストを見られて、新曲を聴けるのは幸せなこと」と心も体も知っているのです。テレビを見ていても必ず槇原の姿は涙で滲んできます。 NHKで一回泣いたから大丈夫だろうと思いきや、先週のミュージックステーションでも結局泣きました(笑)

 「どんなときも。」がブレイクしてからずっと、私の中で彼の歌は生きるよすがといってもいいくらいでしたので、十年前の夏は泣いて暮らしたのを覚えています。朝から泣きました、夜も泣きました。寝ている時まで泣いていたのはびっくりでした、朝起きると時々枕が濡れていました。

 裏切られたような悔しさと。
 また戻ってきてくれるんだろうかという寂寥感。
 これから自分は、誰の音楽を傍らに生きていけばいいんだろうという戸惑い。
 色んな思いが交錯して、大変難儀な夏でした。

 せめて出ている既存の音楽を胸に生きていこうとCDを聴こうとしましたが、これまたびっくり、腕が震えてアルバムを持てませんでした(笑)

 中止になったコンサートチケットを、わざと私は一枚払い戻しませんでした。いつか帰ってきてくれる、いつか本物のコンサートチケットになる、その時までのチケットだ、と、よく眺めていました。
(ほんとにコンサートツアーをしたところで、横浜アリーナなんて行けなかったんですけど・・・汗)

 2003年に槇原が静岡に来てくれた時には夢みたいでした。待ってて良かったと、大泣きして喜んで。コンサートで楽しんできました。お帰りなさいって気分でした。

 だから、だからこそ。こうやって今でも彼の姿を見たり新曲を聴いたりすると、ふわ~っと涙が溢れてくるのです。幸せなことなんだなーって。

 幸せなんですよ。好きな人が居るって。
 幸せなんですよ。好きな人が見られるって。声を聴けるって。
 「大事だよ。」って、ちゃんと言いたくなって、ちゃんと伝えました。

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己を知る。

 私が、自分がパニック障害ではないかと気づいたのはつい最近でした。新聞や、ネットの記事を読み、これは該当するのではないかと思ったのでした。

 パニック障害の主な症状としては、次のようなものがあるそうです。

□ 胸がドキドキする・冷や汗をかく・身体や手足の震え
□ 呼吸が速くなる、息苦しい、息が詰まる
□ 胸の痛みや不快感 ・吐き気、腹部の嫌な感じ
□ めまい、ふらつき ・非現実感、自分が自分でない感じ
□ 狂ってしまうのではという恐怖、死への恐怖

 私は、これを見たときに「全部当てはまるじゃん」と思いました。そして、自分だけじゃないんだ、と、安心して泣きそうにもなったのでした。

 いつもいつも。週に何度か訪れるパニック。その度に、自分が自分ではないような不安感や、狂ってしまう!という恐怖感に襲われます。でも、うまくそれを人に話せませんでした。ただ独りになるだけで、ただ外出が怖いだけで、狂いそうになるなんて、自分だけじゃないのかと思ったのです。

 もしかして、自分の中に大きな狂気が潜んでいて、それがパニックになるたび表に出て。いつしか狂気が私を支配し、何か大きなことを起こし、事件となってしまうのではないか?と不安で不安で仕方なかったのです。

 最近大きな痛ましい事件が起きていますが、もしかしていつかそうやって報道され、「犯人は狂気の沙汰としか思えません」と言われるのは私なのではないか・・・そんな底知れない大きな不安と日々闘っていました。

 パニック障害で、誰もがとは言いませんが、狂いそうになる恐怖感と闘っている人は少なくないと分かり、言葉は悪いのですが嬉しかったのです。私の中に大きな狂気が潜んでいたわけではなかったのです。

 その安心をくれたのは医者じゃなかった。自分で調べたことだった。できれば医者からその安心感を与えて欲しかったと思うのは、頼りすぎでしょうか?

 とりあえず、自分で自分のことをもっとできる範囲で知ろうと思いました。それがきっと、完治への道だと分かったからです。

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冥福を祈って。

 オバマ新大統領誕生のニュースを見ながら、昼寝でもしようと部屋に戻ってきたとき。外から広報が流れてきたので、窓を開けて聞いていた。
 ふーん・・・また行方不明か。困ったね、見つかるといいなと視線を落とすと、クーラーの室外機の横に何か・・・何か。白くて細くて、枯れた小鉢の枝の中に、絡まるように・・・植木鉢の持ち手?いや、あれは・・・・









「骨!??」






 猛ダッシュで玄関へ。広報も聞かず、探し出す。うわ、ちっちゃい。
写真

 生き物の骨なんて、なかなか見られたものではない。博物館にあるのを閲覧するくらいだ。しかもそれを掌で触れた。歯もついてる。うわーうわーうわー!!!
 なんだか感動したが、命がないことに感動というのはまことに失礼かなとも思った。

 このちっちゃさから、多分子トカゲだろうと思う。まだ冬ではないのに、どうして死んじゃったんだろう。冬ではないけど、外の夜はもう子トカゲには寒すぎたのかな。

 さて。困った。この骨、どうしよう。自分としてはとっておきたいが、予定されている転地療養先に持っていくほど大事にも出来ない。でも見てたいのは本音だ。

 このちっちゃい命が、天国では幸せなことを祈って埋めたらいいのかな。

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ああ、しんどい。

 またきました。きてしまいました「一人が駄目」。

 親が外出したりして、一人になることへの不安とかは多少ありました。それでもそんなに動悸もせずに平気で寝たり起きて何かをしたりしていたんです。でも今日は睡眠不足も手伝ったのか、ひどい有様でした。

 ただ近くに買い物に行っただけの母を送る時から動悸。布団にもぐりこむ。やけに動悸がはっきりと聞こえる。深呼吸をしながら、神道系のおまじないを唱える。唱える。唱える。

 そのうち、唱えることすら出来なくなって深呼吸すら怖くなる。

 お手洗いに行って落ち着こうにも、お手洗いに行くことすら怖い。

 お手洗いに行ったら行ったで、今度は私室に戻ることが怖い。

 やっとの思いで戻り、布団に潜ればまた動けない。

 両手や頭の毛穴が開き、総毛だっている感覚。腹部の冷えた感覚。死なない、負けない、と、怖いものを自分の分身で叩き潰すイメージをしながらも、口でやっと息をして叫びたい衝動。

 辛かった。これからはまた、こんな辛い日々が始まるのだ。

 また試練が続く。

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